休止のお知らせ
長い間このブログを休んでいましたが、このブログ休止することにしました。
今後は
https://www.facebook.com/yousei.ide
https://yousei-ide.com/blog/
https://yousei-ide.com
を見ていただけると幸いです。よろしくお願いいたします。
井出庸生
2015年08月06日 Posted by 井出 ようせい at 15:50 │Comments(0)
交番に
きのう、小海町の交番に行ってきた。
先月末の祇園祭の時に、
「交番の駐車場が狭くて、停めるところがない」と
言っていた人がいたからだ。
普段は通り過ぎるだけの国道交差点に交番はあるが
よーくみると、たしかに2台分ぐらいのスペースしかない。
しかも、坂になっていて冬は凍るという。
交番前の歩道の方が、たいらで広々している。
歩道に停めて用事を済ませてしまう人もいるらしい。
小海町交番は築30数年になるという。
祇園祭のあと、県警本部に電話をして聞いてみたのだが、
小海町交番よりも古い警察署、交番、駐在所がまだあるので、
すぐに小海町交番の改修に
予算を振り分けることは難しいという。
小海町交番は、警察署や交番の再編・統廃合によって、
いまでは南佐久の拠点交番となっている。
山岳救助の際は出動拠点になるという。
そういうときは、警察官も、
交番から少し離れた駐車スペースを借りるという。
警察官も、駐車場を直してもらいたいし、
建物も直せるなら直してほしいが、
我慢我慢とのことだった。
警察官に限らないが、
公務員は、官舎の老朽化が、
「著しい」という表現におさまらないような老朽建築もあるなど
苦労と我慢をしている。
公務員の全てが、
高待遇というわけでは決してない。
住民の願いも分かるが、警察官の苦労も分かる。
そんな交番訪問だった。
しばらくは、高齢者優先とか、
融通をきかせて使うほかなさそうだが、
県警も問題意識を共有してくれたことは
よかったと思う。
2013年08月20日 Posted by 井出 ようせい at 01:25 │Comments(0)
それでも前に(8月8日執筆)
たいへん辛い両院議員総会だった。
尽きない議論に終止符を打って、
前に進むためのスタートを切ったということだと思う。
人事を刷新し、党内不和に決着をつけて
一丸となって再スタートを切ろうとした代表と、
お金や人事の問題など、全てを代表1人に任せるのではなく、
それぞれの役員が案を示して党改革を進め、
役割の明確化を求めた幹事長。
トップの意向を尊重しようという声も多かった。
代表と幹事長の2トップ体制を守って欲しいという声も強かった。
多数決を取ったわけではない。
多くの人が様々な想いを飲み込んで
それでも次の一歩を踏み出すことになった。
更迭された幹事長が総会の後、
「1歩後退して2歩前進だ」という話をしたときいた。
非常に厳しい内容だったが、
前に進んだということだけは言えると、私も思う。
私は、青年局長という役員を受けた。
みんなの党は若い国会議員が多い。
30代、40代の国会議員は半数をゆうに超える。
地方議員も若い方が多い。
少ない青年議員を結集するという古い考え方は
みんなの党に当てはまらない。
党内部の青年をどうこうするのではなく、
有権者の若者へ、もっといえば未来の青年である
子どもたちへ何かできることはないか。
青年局長という役目を与えられたのだから、
なにか新しいことを、
他の党と違ったことができないか、考えてみたい。
きょう8月8日、みんなの党は結党4年を迎えた。
次の国政選挙はしばらくないと言われているが、
国会での議論、地方選挙など、常在戦場。
前に進むしかない。
2013年08月20日 Posted by 井出 ようせい at 01:24 │Comments(0)
戦争で亡くなった方々の慰霊(7月31日執筆)
戦後68年目の夏に入り、来月の終戦の日にむけて、
戦没者慰霊祭の日程も入ってきている。
先日、松本市の護国神社であった慰霊祭に参加した。
その慰霊祭は、ニューギニア方面で戦死した
長野県内の3474人を慰霊するために長年続けられ、
今年で45回目だという。
もともとは、共に戦地にいった戦友の方々で慰霊祭をしてきたが、
いまは遺族の方が中心となっている。
国家議員、県会議員などの来賓は、
挨拶をして一時間ほどで退席したが、
私は時間があったので、最後まで残って
遺族のご挨拶をきかせていただくことにした。
遺族を代表して2人の方がお話しされたが、
中身は大変興味深かった。
最初にお話しした女性は、父が戦死したという。
女性がニューギニアを訪れようと思ったのは、
戦後、一家を支えてくれた母が98歳で亡くなった最近のことだという。
母と父を近くにいさせてあげたいと、
戦地で散骨をしたという。
慰霊碑のまわりが草ぼうぼうで
いたたまれなかったという話もしていた。
もう一人の男性は、
戦死した父は、ご自身が4歳のときに出征したから
父のことは正直わからないと。
でも自分が定年退職をしたのを機に
慰霊をはじめようと思ったという。
男性が特に強くお話しされたのは、
長年の慰霊を支えてきた
遺族会スタッフへの感謝の気持ちだった。
ボランティアで長年慰霊を支えてきた
事務局やスタッフに、感謝状だけでも渡したいと提案し、
大きな拍手が起こっていた。
遺族会のスタッフのみなさんの、
遠慮がちな、それでも嬉しそうな笑顔が素晴らしかった。
遺族の高齢化が進んでいるとよくいわれるが、
二人のお話をきいていて感じたのは、
時間がたっても、戦没者への想いは
さまざまな形でいき続けている。
私がかつて見聞きしたような、
戦没者への直接的な感情は
お二人の挨拶からはうかがえなかったが、
それぞれの形で
慰霊に関わっていきたいという強い想いを感じた。
私は親も戦後生まれで、
戦争経験から時間的にどんどん遠くなっているからこそ、
私たち若い世代は積極的に、
戦争体験を知る必要があるということを
お話しさせていただいた。
ほかにも、慰霊祭の前に遺族会のみなさんとお話しした。
中国との関係が悪化して、現地に慰霊にいけなくなったとか、
行っても、現地から遠くはなれた宿泊先で、
お線香をあげることすらできないといった話をきいた。
「慰霊をきちんとやりたいんだけど、
いまのままだと中国の人だって、
日本の兵隊の家族が来るときいたら、構えちゃうよね」
慰霊ができないからといって中国を批判することもせず、
それでも、慰霊ができない無念さを感じる言葉だった。
政治家の場合、外交上の摩擦はつきまとうが、
参拝や慰霊に、いこうと思えばいくことができる。
しかし、慰霊にいきたくても
いくことがかなわない人たちがいることに
もっと向き合わないといけない。
私は、時間がかかると思うが、
慰霊が堂々とできるようにしたいし、
外交上の理解も得たいと思っている。
憲法の問題、安全保障、領土の問題、
様々な問題が絡み合う問題ではあるが、
戦争を二度とおこさない、そして戦没者の慰霊をしっかりとやりたい。
こうした想いを形にするためには、なにが必要なのか。
慎重に議論していきたい。
2013年08月20日 Posted by 井出 ようせい at 01:23 │Comments(0)
厳しい戦いを支えていただき、ありがとうございました(7月22日執筆)
参議院選挙が終わりました。
信州では私、すみけい子候補と二人三脚で戦いましたが、
残念ながら当選にはいたりませんでした。
応援、ご支援いただいた皆様に心より感謝申し上げます。
106915票。
公示の二日前に立候補表明したにも関わらず、
すみ候補は精一杯頑張ったと思います。
本人の頑張りに、多くのご支援をいただくことができました。
しかし、擁立がギリギリになってしまったことや、選挙戦のサポートなど、
私と党本部は、今回の結果を真摯に受け止めなければいけません。
全国的に見ても、議席を増やしはしたものの
長年活動を続けていた、なんとしても当選してほしかった
多くの仲間の努力が報われませんでした。
自民党にしっかりモノをいえる力を作るという
大きな目的のある戦いでした。
戦う意義がある選挙で候補者を擁立し、
挑戦をしたことは間違っていなかったと思います。
しかし戦うのが精一杯、現在の党の力の限界、
みんなの党の看板だけでは戦えないと感じました。
今後にむけて、党本部と、厳しい話し合いが必要となるでしょう。
今回の参院選、総括には時間がかかりそうですが、
この経験が今後にいかせるよう、もっと精進して参ります。
今回の参議院議員選挙が厳しい戦いになることは、
多くの方が、あらかじめ分かっていたことだと思います。
それでもなお、選挙戦を支えてくださった、
応援してくださった皆様に、心より感謝申し上げます。
ありがとうございました。
(7月22日 佐久市 跡部交差点)
2013年08月20日 Posted by 井出 ようせい at 01:21 │Comments(0)
通常国会の終わりに(6月26日執筆)
初めての通常国会が終わった。
「これからいくつもの困難がある」
そう言っているかのような強い雨が降った。
予算委員会など、多くの質問に立った。
当選から5ヶ月で、
本会議の質疑に登壇できるとは、
議員になる前は予想もしなかった。
「新人議員と言う言葉は使わない」と、
甘えを排して活動してきた。
大臣だろうと官僚だろうと、
言うべきことは言ってきた。
反省も多かったが、無我夢中で仕事をした。
本会議場のヤジには辟易させられた。
議員の質について考えさせられたことは多かった。
官僚とのやり取りも多かった。
真摯な話し合いが多かったが、
一方で、内容の薄い答弁も多く、
官僚の熱意についても、
考えることは多々あった。
議員立法にも関わった。
「法律はこうやってできるのか」と、
その重みとともに、
シンプルな作業への驚きもあった。
酒を飲む機会はあい変わらず多いが、
量は減った。
翌日、頭をできるだけクリアにしておきたい。
翌日を気にして節制するようになったのは、
野球をしていた時以来だ。
課題は多い。
満足や、安心感は一切ない。
もっともっと。
「公のために」
挑戦は、まだ始まったばかりだ。
2013年08月20日 Posted by 井出 ようせい at 01:20 │Comments(0)
官僚と政治家のギスギスした関係(6月14日執筆)
きのう(13日)の毎日新聞で、復興庁幹部がTwitterで暴言
記事を見る限り、「子ども・被災者生活支援法」や法案成立を求める人々への暴言、また、福島県内のある町議会に対する暴言は許されるものではない。ただ、ある党本部に缶ビールを補充(大半は自身が飲むとも言及しているようだが)したことなど、「そんなことまでするのか」と驚くこともある。また、政治家への陰口のような類いの話が多かったようだが、「たしかに」と妙に納得してしまうものもあった。
どういうことかというと、政治家と官僚の関係について、たまに「こんなんで大丈夫か」と思うことに遭遇する。官僚のみなさんは私のような1年生議員にも「先生、先生」と言ってくださって、多くの官僚は実直だ。けれどたまに、会議中にみせる表情だったり、電話の向こうから聞こえてくる官僚同士の会話だったりするのだが、「ああ、政治家って全く尊敬されていないな」と思うこともある。
ある会議で、議員同士が法律を作る議論をしていた。省庁の役人も横で聞いていて、たまにアドバイスをしてくれる。しかし、1人の議員の発言が、役所としてはあり得ない話だったのか、「それはないよな」といったような失笑が役人たちの席からもれてきた。それをみた発言中の議員が激怒する。議員の激怒は相当なもので、言葉も相当荒かった。しかし、そもそも怒らせるような失笑をしたのは官僚たちの方だった。真剣な議論を笑ったのだから。でも、謝るわけでもなく、ひたすら目をあわせずにいるだけだった。こんなことで、「さあ、法律ができました。運用の基準を作りましょう」という時に、官僚が政治家の議論を反映させるのだろうかと不安になった。重ねて断っておくがこんなことはいつもある訳ではない。多くの官僚は真摯にやってくださっている。
逆に政治家の側も、私がみていて「この議員、なんでこんなに横柄なんだろう。役人が気の毒だ」と思うことがある。こっちは「たまに」というよりも「よくある」といった方がよいかもしれない。議員が役人に分からないことを聞くのに、議員会館まで呼びつけるのが当たり前、電話も、議員本人がするのではなく秘書がするのが当たり前というのが、常識らしい。私も質問を作る時に分からないことがあるので役所に電話をするが、ニュアンスをしっかり伝えるために、直接電話するようにしている。そうすると「わざわざお電話いただいて」と恐縮、感謝されることが多い。
政治家は官僚に言うべきことは言わなければいけない。役所のやっていることや考え方と対立することも多い。私など野党だからなおさらだ。しかし、政治家と役人の信頼関係ができなければ、信頼関係をお互い損ねてしまったら、法律を作っても、また、国会でどんなにいい質問をしても、きちんと実行に移せるかどうかというところが大きく揺らいでしまう。Twitterの暴言は極端すぎるケースだが、政治家と役人の関係がよくないということの現れと見ることができる。
会社やスポーツチームでもそうだが、人間関係が、例えば上司と部下だったり、先輩後輩だったりといろいろだが、当然、性に合わないことや相容れないこともある。でもそうしたことを飲み込んで1つの目的に向かっていくのが、成熟した組織だと思う。今回のTwitter問題で感じたのは、政治家も官僚も、協力しなければいけない部分があるにも関わらず、人間関係という面でお互い未熟だということだ。しょっちゅうこんなことがわるわけではない。政治家にも官僚にもすばらしい人が多いことは改めていっておく。悪いお手本に出くわした時は、反面教師として、活動していきたい。
(毎日新聞6月13日朝刊より引用)
2013年08月20日 Posted by 井出 ようせい at 01:19 │Comments(0)
本会議登壇 7分14秒
5月17日、質問のため、初めて本会議で登壇しました。当選から5ヶ月で本会議登壇ができるとは、選挙のあとは予想もしませんでした。緊張するかなと思っていたのですが、初めて委員会で質問をした時と比べると、はるかに落ち着いて質問ができたと思います。様々な委員会で何度も質問に立ってきたので、その経験が、少しだけ成長につながっているのかも知れません。
壇上から見る本会議場は、ふだん議員席から見る本会議場よりも、狭く感じました。傍聴にきてくれた秘書の姿もしっかり見えました。また、議場からのヤジや激励もはっきりと聞こえました。
質問は、「クール・ジャパン推進機構法案」について。「クール・ジャパン」と呼ばれる、日本が世界に誇るもの、例えば地域の伝統工芸品だったり、日本ならではの、ホテルや結婚式での細やかなサービス、高品質の農産物、ファッション、また、アニメなどのコンテンツといった様々なものを海外に広め、日本経済の成長につなげようというものです。そうした宝物を持っている企業の海外進出を促すために、国と民間が出資する「クールジャパン推進機構」いわゆる「官民ファンド」をつくって後押ししようというのが今回の法案です。
クールジャパンと呼ばれる、日本のすばらしいものが海外に展開することは、おおいに期待しています。私が初当院のときに着た上田紬も世界に通用するものだと思っています。
しかし、こうした企業は、これまで厳しい競争に耐え、創意工夫ですばらしい商品をつくってきました。こうした企業の強みは「自立」だと私は思います。こうした企業に、国が主導して安易に出資することが本当によいのか。お金も大事ですが、情報提供、海外展開につながる機会をつくることが大事ではないか。また、「官民ファンド」は、かつての第3セクターがそうですが、多くの失敗例があり、「この手の話は、お上がやったらうまくいかない」ということは、いまや霞ヶ関の省庁の間でも共通認識となっています。とくに官民ファンドの人事は、天下りの温床ともなりかねず、ファンドを作るのなら、人事や運営の仕方など、徹底した議論が必要です。期待が大きいだけに、成功して欲しいだけに、今後も議論を重ねたいと思います。
こうした内容を、7分14秒で話しました。まだまだ未熟、1日1日が勝負ですが、小さな1歩を踏み出したということで、5月17日は忘れられない日になりそうです。多くの皆様の力を借りて、支えられて、自分が国会に立っていることを今一度噛み締めて、今後も活動してまいります。ご支援頂いている皆様への感謝を込めて、初登壇の報告とさせて頂きます。
追伸
質問の様子はこちらからご覧頂けます。http://www.shugiintv.go.jp/jp/index.php?ex=VL&deli_id=42760&media_type=fp
2013年05月18日 Posted by 井出 ようせい at 23:39 │Comments(0)
国会へいこう(^^) 5月5日
子どものころ、修学旅行で国会にいったことがあるという人、
多いかと思います。
でも、改めて行ってみたいという人もたくさんいます。
国会議員は、自分の後援会を中心に、
バスツアーを組んで国会見学会を開くことが多いようです。
国会見学は5月が年間のピークで、衆議院によると
多い時は1日200台のバスがくるそうです。
参議院も入れると、ものすごい人数が1日に訪れていることになります。
私も後援会のバスツアーを計画していますが、
友達同士、家族、デートなど、
少人数で気楽に行ってみたいという声も多く聞きます。
少人数の声に応えたい。それが「国会へいこう(^^)」です。
国会内の食堂。味はまさに食堂という感じでずが、
建物の雰囲気がいいので人気があります。
本会議や委員会が開かれる日、
私が質問に立つことがあれば是非ご案内したいと思っています。
衆議院の議長室のとなりにある、議長応接室では、
国会運営を話し合う議院運営委員会が開かれています。
こうした場所は、大人数の通常見学だとなかなかご案内できませんが、
少人数だと見学が可能です。
新幹線でも高速バスでも、
マイカーで乗り合いで来ていただいても、駐車場があるので大丈夫です。
ご家族でも友人同士でも構いません。
国会の日程次第で、確約はできませんが、
できるだけ、私がご案内させていただきたいと思います。
ご希望の方は、
東京事務所03−3508−7469にお電話ください。
お待ちしています!
(写真は衆議院第二議員会館721号室。
私の部屋です。あるくま君とともに、お待ちしています)
2013年05月18日 Posted by 井出 ようせい at 23:38 │Comments(0)
距離を置く 5月1日
今週の週刊ポストに「安倍晋三と朝日新聞の『不適切な蜜月』」という見出しの記事があり、気になって読んで見た。朝日新聞と安倍総理の関係が気になったわけではない。前々から、総理が新聞やテレビに自ら主体的に、単独インタビューや出演をすることが増えているのではないかと気になっていた。
記事には、朝日新聞が変節したとか、安倍総理と朝日新聞の関係が細かに書かれていたが、記事をそのまま鵜呑みにするつもりはない。朝日新聞にも反論があるだろう。 しかし、記事の中で立教大学の名誉教授教授が述べていた「メデイアのトップが権力者の総理と会食するなど言語道断。メディアは権力と一定の距離を保つべきというのは市民革命以来定着している考え方です」という話はその通りだと思う。 また、記事ではほかにも「安倍首相のメデイア攻勢は朝日だけに限ったことではない。首相就任以来、朝日、読売、毎日、日経、産経のトップと会談し、テレビも民放キー局の会長や社長を総なめしている。しかし、英国では、メディアの経営者が首相と会うことはタブーとされ、日本でもこれまでメディア側が権力との接近を自制する節度をもっていた」とあるが、これもその通りだと思う。
安倍総理と朝日新聞の関係だけをどうこういうつもりはまったくない。 民主党政権の前後、民主党が政権を取る少し前から、総理のテレビ出演や新聞の単独インタビューが、昔より増えているのではないかと漠然と感じていた。 総理に出番を与える以上は、単に総理の発言をなぞるだけではなく、時には総理を怒らせるような、各社の社論に基づく突っ込みがほしい。
あり得ないことと信じているが、単に総理の出演回数が多いとか、出演時期が他社より早いとかを競い、一喜一憂しているとしたら論外だ。 歴代総理がメディア各社に頻繁に登場することがなんとなくひっかかっていたが、大事なのは、距離をおくことだ。歴代総理がメディアを積極的に使おうというのなら、その内容をどういうものにするか。総理とどういう距離感をもつのかは、メディア各社の姿勢が問われている。
2013年05月18日 Posted by 井出 ようせい at 23:37 │Comments(0)
被災地のこと 4月30日
もう1ヶ月近く前のことになるが、被災地に行ってきた。被災地にいくのは約2年ぶり。震災のあった年の5月にいった以来だ。前回は絶望に近い感覚に陥ったが、今回はどうなのだろうか。復興が進んでいるのではないかという期待と、報道をみるかぎり、期待できないという思いが混じりながら気仙沼に向かった。
気仙沼には、仮設商店街ができていた。被災して店を失い、商店街の復興が進まない中で、プレハブ棟にいくつもの店が集って商売を再開したという。
学校に隣接している仮設住宅にもいった。月曜日の午前中なので、高齢者や主婦が数人いるだけだった。お年寄りの女性が「私たちは、みなさんにどれだけ感謝してもし足りない」と話していた。2年前に泊まらせてもらった避難所でも、同じ言葉を何度もきいた。2年前も今回も、非常にありがたい言葉をかけていただいたと思ったが、復興が依然として道半ばであることも感じずにはいられなかった。
気仙沼港の回りは工事がさかんにおこなわれていた。しかし、建物はなくなったままで、更地が目の前に広がっている。市の職員によると、震災で自然体が平均で74センチ地盤沈下したという。被害を繰り返さないように、盛り土をした上で再建をすすめるようだが、かなり時間がかかるだろう。
2年前、がれきで埋め尽くされた街の中にあった、流された漁船はそのまま残っていた。がれきは片付いたが、なにもない更地のなかに船だけが残っていた。津波被害の象徴として保存するか、それとも撤去するのかで議論が続いているという記事が、ちょうどその日の地元紙に出ていた。
津波に襲われた市内の高校は、大破したまま残されていた。増築したばかりの高校が津波で大破し、生徒はいま、別の場所に通っているという。グラウンドには大きな焼却施設、クリーンセンターが建っていた。
気仙沼から隣の南三陸町にいったら、嬉しい再会がまっていた。南三陸町の佐藤町長(写真右)だ。奮闘ぶりはTVでみていた。「なんで2年前はこなかったの.寂しいっちゃ」と笑顔で言われ、笑顔を返したが、2年前は、街がなくなってしまった映像を何度もみせられていて、馴染みの深い街だっただけに、恐くて入れなかった。
町役場は新しい場所に。
南三陸にも仮設商店街が、沿岸から離れたとことろにできている。そばには、鉄道代わりを果たしているバス停もできていた。
震災前の街の中心部は沿岸にあった。何度も映像や写真でみてきた役場の防災庁舎。かつて何度も訪れた建物だが、骨組みだけになった姿はあまりに小さかった。あたり一面の更地が被害の大きさを物語っている。かつての街は、ない。
防災庁舎で手を合わせていると、ほかにも何人か、花をもって祈りに来た人がいた。おそらく毎日、多くの人が訪れているのだろう。
復興の道のりはまだまだ長い。2年ぶりにいって、改めて感じる。被災地に、これからも思いをはせていかないといけない。復興はいまもこれからも、日本の最優先課題だ。
2013年05月18日 Posted by 井出 ようせい at 23:36 │Comments(0)
凍害調査 4月30日
4月25日の信濃毎日新聞朝刊に、4月21日の雪や霜と、翌日にかけての冷え込みで、果樹に大きな被害が出たという記事があったので、現場を見にいってきた。訪れたのは松本市の今井。地元の農家によると、松本では21日に雪が降り、その翌朝がマイナス7度ぐらいまで冷え込んだという。
梨の花がちょうど開いたところに寒さが直撃した。見た目で明らかに枯れてしまった花も多いが、写真のように花が生きていても、真ん中のめしべが黒く変色してしまうと、受粉ができず、実がならない。梨はほぼ全滅で、こうした被害は、この地域では30年ぶりだという。
話をきいた2人の農家は、米やぶどうも作っているというので、梨が全滅でも、生活が立ちゆかなくなることはないと前向きに話していた。しかし、梨だけを作っている農家や、ことし新規就農した人には大きな被害になってしまったという。
天災にあったときに被害額を軽減する果樹共済という制度があるが、よくても被害額の7割しか補償されない。また、被害の算定は農家にとっても、算定する側にとっても難しい問題が多い。地元農家によると、梨は天候の影響を受けやすいので、栽培農家の半数が共済に入っているが、果樹全体で見ると2割程度しか加入していないという。
農業は、天候に大きく左右される。単品だけ作っているとリスクは非常に高い。また単品のみだと作業が一時期に集中するので、複数の農作物を作って、作業の分散化とリスクの軽減を図っている農家が多い。そんな話から農業の将来に話がうつった。いま、自民党は「攻めの農業」を合い言葉に、大規模化、輸出の拡大を目指そうとしている。みんなの党も他の野党も「大規模化」という路線は共通している。しかし、大規模化、生産量だけで勝負しても、海外の大規模農家には太刀打ちできない。ましてや、天災被害を軽減するために複数の農作物を作るとなると、ますます容易ではない。
質の高いものを、売り先を確保して、つまり販売を重視して、堅実な経営をしていくことがこれからの道ではないかという話になった。販路の拡大、開拓は、個人では、すでにかなりやっている人もいる。しかしこ、れまで生産だけして農協に販売を任せきってきた農家にいきなりやってくださいといっても、すぐには難しい。しかし、農協がまず、販路の開拓、多様化に力をいれるというのであれば1つ道がひらけるのではないか。
お会いした2人は、私がきたことを非常に喜こんでくれたが、私のほうこそ大変勉強になって感謝している。現場の思い、感覚、実態を、国会の議論にのせていきたい。
2013年05月18日 Posted by 井出 ようせい at 23:35 │Comments(0)
ネット選挙解禁法案 4月23日
インターネット選挙を解禁する法案が、衆議院も参議院も全会一致で可決された。7月の参議院選挙からインターネットが使えるようになる。
ごくごく簡単に法案を説明すると、候補者や政党は、これまで禁止されていた選挙期間中(告示〜投票日)まで、ホームページやメールを使って、活動の紹介や投票の呼びかけが可能になる。
有権者はどうかというと、インターネット上では、「〇〇候補を応援しているから、みんなも応援してください。投票してください」などと、特定の候補へ投票を呼びかけることが可能になる。しかし、メールで同じこと、選挙運動と呼ばれる文面を書くことはできない。ここは将来の課題として残った。
選挙運動とはなにか。端的にいうと、特定の候補者への投票を呼びかけることをいう。つまり、私のことを応援してくれている人が、「井出ようせいに投票してください!」と呼びかけることは、インターネット上ではできるが、メールではできない。
ということは、選挙運動でなければ、メールだろうとインターネット上だろうと、なんでも認められている。投票を呼びかけなければよい。たとえば、「井出ようせいは教育に熱心だから応援する」という意見表明は大丈夫。逆に、「井出ようせいは若すぎるから頼りない」と批判するのもよい。
インターネットが選挙期間中使えるようになると、私のような立場からすると、選挙戦中も自分の行動や考え、予定を更新できるので、そこは助かる。しかし、この法案が成立したからといってネットだけで選挙が戦える訳ではない。
選挙の時だけ顔を出したり、握手にきたり、電話をしてくる候補者がいまひとつ信用できないことと同じで、選挙の時だけインターネットをつかったり、メールをたくさん送っても、効果はあまりないだろう。大事なのは、やはり普段からの取り組みだ。先の衆院選で、ある候補者が選挙前、Facebookで選挙区内の人に片っ端から友達申請を送ってつながりを作ろうとしていた。そういう相談が私のところにきた。ネット上でどのような行動をとるのかも、評価の対象になっている。ネットは、電話や会話と違って記録に残る分、候補者の行動が問われることになる。
もう1つ、誹謗中傷が増えるのではないかということが懸念されている。たしかにそうした不安はある。面と向かっていえない陰口の類いが堂々と発信できるのがネットかもしれない。しかし、面と向かってだと照れくさくて言えないような応援メッセージを書き込むことができるのも、ネットの世界ならではだと私は思う。
ネット選挙解禁後の、私の選挙がいつになるかは定かではないが、いまは、ネット対策でスタッフを増やす気も、お金をかける気もない。いままで通りやりながら、その中でどんなことが起こるかを想像し、私なりの対応をしていきたい。金や人をつかって情報を大量に流すことよりも、質の良い情報を発信していきたい。
最後に、インターネット選挙解禁法案を散々議論し、委員会で週に4回も質問に立ったから一言述べておきたい。ネットは最終的には前面解禁した方がいい。有権者のみ、投票を呼びかけるメール禁止というのは、選挙の主役をはき違えている。ましてや罰則を設けるなどありえない。ネット上のやりとりにトラブルはつきものだからこそ、すべてをオープンにするべきだ。オープンにした上で、有権者と信頼できる関係を構築するのは、選挙をやる我々の仕事である。
2013年05月18日 Posted by 井出 ようせい at 23:35 │Comments(0)
0増5減に反対した理由 4月21日
(4月20日朝日新聞朝刊より引用)
今国会で、もめにもめた0増5減法案が19日、衆議院の委員会で可決された。上の写真で、座っている左側が私だ。私の所属する、選挙制度改革を担当する委員会で、議論が行われた。新聞やTVをみると「0増5減法案はさっさと通過させるべきだ」との論調がほとんどだったが、私は反対した。以下反対の理由を書く。
①3月から4月にかけて各地の高等裁判所で、去年の12月総選挙が無効や違憲であるとの判決が相次いだ。判決の中には0増5減法案のことを、「格差是正とは到底言い難い」と断じる判決もあった。与党は、「前々回の衆院選を違憲とした平成23年最高裁判決にまず対応する必要があり、11月の段階では、みんなの党も賛成しただろう」というが、3月4月の、15件に上った無効・違憲判決をみれば、司法の通告がさらに厳しいものになっていることは明白だ。
②1票の格差を、3年前の国勢調査を元にして、かろうじて2倍を切っただけで、「憲政史上初めて2倍を切った」と自賛されても、すでに最新の調査では2倍を超えている選挙区が多く存在し、実態が伴っていない。
③1票の格差是正は、民主が対案を、維新とみんなの党も対案をまとめているにも関わらず、野党案は審議すらせず、採決を強行する与党のやり方には強く抗議したい。1票の格差是正の議論は、去年も与党のみの審議が多かった。与党のみの議論など、その内容はたかが知れていて、国会での議論は尽くされていない。
④「選挙制度は抜本改革が必要だ」と、全ての政党が言っている。だから、たとえば維新の会は、抜本改革の期限を明示しろと強行に主張してきた。与党は、抜本改革をやるとはいっているが、具体的な段取りの話がまったくついていない。
新聞やTV、世論が0増5減法案を通すべきとの論調によっているのは、その後すぐに抜本改革をしろということがセットになっている。抜本改革の話を抜きにして、みせかけの数字合わせだけで終わらせてしまえば、政権への期待は大きな失望へ変わるだろう。
3月25日に広島高裁で無効判決が出てからまだ1ヶ月もたっていない。にも関わらず、その重みを受け止めようという姿勢は、私が質問・討論を行った19日の委員会で感じることはできなかった。「無効判決も大事だが、これまでの議論、これまでの流れが大事だ」と言わんばかりの答弁がほとんどだった。もう一度無効判決の重みを受け止めて、今後の議論を考えなければいけない。
2013年05月18日 Posted by 井出 ようせい at 23:34 │Comments(0)
月に3回、週に4日 4月21日
衆議院議員になって、あっという間に4ヶ月がたった。選挙が終われば少しは落ち着いて仕事ができるかと思っていたが、選挙のときより忙しい。インターネットで調べてみたら、12回質問に立っている。平均すると月に3回だが、週に4回質問に立った時もあり、ここまでは質問に追われてきた感がある。
質問に立つ時は、話題について事前に調べを尽くす。過去の議事録も当然調べる。過去の議事録を調べるのは、質問が重ならないようにということもあるが、過去の発言をただして、新たな答弁を議事録に残せば、いつかまた、その議事録をみて、さらに突っ込んだ質問ができる。非常に大事だ。
質問を通して自分が何を言いたいか、まず大きなテーマを決めて、それに沿ったストーリー、質問展開を考える。答弁内容は、あらかじめ調べて知っていることや、質問の内容をオウム返しのように返されることが多い。答弁者からすると、第3者のために丁寧な答弁をするという意図なのかもしれないが、「それは知っているので結構です」と言いたくなることも多い。
答弁をつくる方も大変のようだ。質問は前日に通告するが、そうすると、官僚が質問の意図を聞きにくる。私は部屋にきてもらうのも申し訳ないので電話で済ませることが多いが、質問の意図を丸裸にしないと気が済まないらしい。こちらは、当日の答弁によって質問を変えることもあるから、前日の段階であまり確かなことは言えない。討論を深めるための事前の擦り合わせには協力はするが、当日の討論を大事にしたい。一度、官僚から電話で「質問をこうしたほうが、きれいな答弁になる」といわれ、さすがに「きれいな答弁ってはなんですか。ありのままを答えてもらえばそれで結構です」と返したことがある。
質問や答弁の中身以上に、会話の雰囲気、外見、印象が評価の対象になることも多い。「元気がない」とか「押され気味だった」とかいう類いのことだ。新人だからという理由で負けるわけにはいかない。堂々とやりたいものだ。堂々とやるためには、周到な準備が必要になってくる。
質問だけが仕事ではない、他にもやることはたくさんある。でも、1回1回の質疑は全力を尽くさなければいけない。予算委員会をはじめ、様々な委員会に立ってきたが、本会議の出番も、もう間もなくだ。
2013年05月18日 Posted by 井出 ようせい at 23:23 │Comments(0)
高校生からのメッセージ 3月11日
先日、卒業式に出席した高校の生徒から、メッセージが届いた。
「卒業式の時は、素晴らしいお言葉ありがとうございました。
あ
来年は、自分
是非、来年も来てください! これからも、頑張
私の方が「ありがとう」と言わなくてはいけない。
学校から招待され、
最近の卒業式を直接見たいと思って出席させていただいた。
卒業生がみんな、凛とした表情をしていて、驚いた。
中高6年間の皆勤賞が20人。高校3年間の皆勤賞が50人もいた。
自分が高校を卒業する時は、浪人が決まっていたこともあって、
晴れやかな気持ちはまるでなかった。賞とも無縁だったので
そんな失敗談というか、苦しい時のことを話した。
そういう時期を支えてくれるのは、高校の友人だったと。
街頭演説の話もした。
ここの高校生はよく街頭で手を振ってくれるので、
感謝の気持ちもこめて。
来年も都合がつけば、なんとか出席させていただきたい。
また呼んでもらえるように、そして堂々と話ができるように、
日々の活動を頑張るのみ!
2013年05月18日 Posted by 井出 ようせい at 23:22 │Comments(0)
上田紬 3月4日
初登院に上田紬を着たことを皆さんに喜んでいただいたのですが、数日前、ありがたく、そしてとても勉強になる手紙を頂いたので紹介します。
「初登院の日の上田紬の着物、大変嬉しく話題になっています。
上田紬は、江戸時代初期には江戸、難波、京都で大流行したものです。
売れない繭を湯に入れて、5、6本を1本の糸にして、横糸にして織ったものです。
それ故、丈夫で、絹の光沢があり、軽くて、
『表地一枚に裏地三回』という言葉が残っています。
表地が丈夫なので、裏地を三回も変えるほどだったという意味です。
幕府も絹禁止の中、出殻繭で作ったこの紬は許可していました。
たくさんの商人たちがこの紬を求めて上田に来て、
養蚕農家から買って背負って山を越えて帰っていきました。
上田紬こそ、『蚕都上田』の原点です。
初登院の折、着てくださって、私は皆にこの話をしています。
有り難うございます。御礼まで」
蚕都・上田を今後もPRしていきます!
2013年05月18日 Posted by 井出 ようせい at 23:21 │Comments(0)
ムダではなかった 2月25日
きのう(24日)、佐久は快晴、陽も長くなったので、
夕方上田にむかった。しかし、上田は猛吹雪。
ノボリは倒れるし、雪が耳に入ってくるし。
辻立ちをあきらめ、無駄足だったかと溜息をつきながら、
体を温めようとラーメン屋に。
午後5時半ごろだったので、店内は親子が1組だけ。
すると中学生の女の子が私をみて笑顔になり、
お母さんが「娘がファンなんです」と。
ありがたいなと思ったが、
本当にありがたかったのは、この後の話。
お母さん「娘が、最初はようせいさんが小学校の時の
先生と雰囲気が似てるとか言い始めて。
でもそのうち、この子なりに政治の勉強を始めて、
ここがいけないとかいうようになって」
娘さん「私、いろいろ調べたんです。
で、これはいけないと思うことが結構あって…」
街頭に立っていると、手を振ってくれる子どもは多い。
子どもたちに選挙権はない。だからムダだという人もいる。
私は、子どもたちの無邪気で好奇心旺盛な笑顔に救われてきた。
だから子どもたちとのかかわりをムダだと思ったことはない。
こうして政治に関心をもってくれた子が目の前に現れると、
ムダどころか、街頭演説を続けてきた甲斐があったと思う。
一見ムダに思えることも、ムダではないと改めて教わった。
上田に足を運んでよかった。無駄足ではなかった。
ラーメン屋で会った親子に感謝。
2013年05月18日 Posted by 井出 ようせい at 23:20 │Comments(0)
三滝山氷祭り
北相木村の山を登ったところに「三滝」という滝がある。毎年冬には、上の写真のように氷り、「山氷まつり」が開かれる。北相木村はおよそ350世帯の小さな村だ。大きなお祭りができるわけではない。ささやかだが、村をあげて、ステージでイベントをやったり、露店が出る。雄大な自然の恵を村をあげて盛り上げている。
去年、地元の人に誘われたが行くことができず、今年の2月17日、ようやく約束を果たすことができた。国会議員はあまり来ないせいか、みんな喜んでくれて、ご挨拶の時間をいただいたので、村の大自然に感謝を述べさせていただいた。東京と信州を行ったり来たりで、心も身体も縮こまり、固まってしまったような疲れがあったが、三滝をみたら晴れやかな気持ちになった。
小さな村の、大きな自然を支える恒例行事。こういった地域の宝物をこれからも応援したい。
追伸
地元商工会で販売している、雉の肉でダシをとった「雉ソバ」は、かなりの美味。皆様も来年どうぞ!
2013年05月18日 Posted by 井出 ようせい at 23:19 │Comments(0)
井坂信彦さんの演説
きのうの本会議。
補正予算案の採決前に各党の、賛成・反対討論があったが、一番良かったのは、みんなの党、兵庫1区の井坂信彦さんだった。 「初めてにしてはとてもよかったんじゃない?」という声が議場の後ろ、他の党から上がっていたが、新人とか関係なく、登壇した6人の中で一番良かった。
自民党と公明党が圧倒多数の中、反対討論にはヤジが多いが、井坂さんの演説はみんな静かにきいていた。いや、聞き入っていた。ヤジはほとんどなかった。 井坂さんの演説は、反対討論なのに極めて穏やかで、映像で観るとおとなしすぎる感じがするが、派手な身振り手振り、大声のパフォーマンスとは一線を画している。
各党とも、きのうの討論は党を代表した演説なので、党の主張にそった内容になるが、他の党はおそらく、ライターと読み手が別で、聞き飽きたフレーズが多かった。しかし井坂さんは、党の主張を、自分の言葉で大胆に書き換えていた点で抜きん出ていた。
私は、本会議前の予算委員会で、各党の討論と採決をみた。また、予算委では党を代表して発言もした。私も自分の言葉を入れた。でも井坂さんの演説のほうがはるかに大胆だった。だからなおさらすごみを感じた。もっともっと頑張らないといけない。
ちなみに井坂さんは約1年前の党大会で、「政治をあきらめないでください」の名演説を行い、その後、みんなの党の多くの人がこのフレーズを全国各地の街頭で使ったが、発信源は井坂さんだったと私はいまも思っている。本会議の採決結果は事前に見えているので、演説で採決がひっくり返ることはないが、政治をあきらめずに最善を尽くそうとしている人が、井坂さんそのものなのだ。
(写真は井坂信彦さん 衆議院TVより引用)
井坂さんの演説はこちら、衆議院TVからごらんください。 http://www.shugiintv.go.jp/jp/index.php?ex=VL&deli_id=42411&media_type=wb