交番に

きのう、小海町の交番に行ってきた。


先月末の祇園祭の時に、


「交番の駐車場が狭くて、停めるところがない」と


言っていた人がいたからだ。


 


普段は通り過ぎるだけの国道交差点に交番はあるが


よーくみると、たしかに2台分ぐらいのスペースしかない。


しかも、坂になっていて冬は凍るという。



 


交番前の歩道の方が、たいらで広々している。


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歩道に停めて用事を済ませてしまう人もいるらしい。


 


小海町交番は築30数年になるという。


祇園祭のあと、県警本部に電話をして聞いてみたのだが、


小海町交番よりも古い警察署、交番、駐在所がまだあるので、


すぐに小海町交番の改修に


予算を振り分けることは難しいという。


 


小海町交番は、警察署や交番の再編・統廃合によって、


いまでは南佐久の拠点交番となっている。


山岳救助の際は出動拠点になるという。


そういうときは、警察官も、


交番から少し離れた駐車スペースを借りるという。


警察官も、駐車場を直してもらいたいし、


建物も直せるなら直してほしいが、


我慢我慢とのことだった。


 


警察官に限らないが、


公務員は、官舎の老朽化が、


「著しい」という表現におさまらないような老朽建築もあるなど


苦労と我慢をしている。


公務員の全てが、


高待遇というわけでは決してない。


 


住民の願いも分かるが、警察官の苦労も分かる。


そんな交番訪問だった。


しばらくは、高齢者優先とか、


融通をきかせて使うほかなさそうだが、


県警も問題意識を共有してくれたことは


よかったと思う。


  


2013年08月20日 Posted by 井出 ようせい at 01:25Comments(0)

それでも前に(8月8日執筆)

みんなの党メンバー


たいへん辛い両院議員総会だった。


 


尽きない議論に終止符を打って、


前に進むためのスタートを切ったということだと思う。


 


 


人事を刷新し、党内不和に決着をつけて


一丸となって再スタートを切ろうとした代表と、


 


お金や人事の問題など、全てを代表1人に任せるのではなく、


それぞれの役員が案を示して党改革を進め、


役割の明確化を求めた幹事長。


 


 


トップの意向を尊重しようという声も多かった。


 


代表と幹事長の2トップ体制を守って欲しいという声も強かった。


 


多数決を取ったわけではない。


 


多くの人が様々な想いを飲み込んで


それでも次の一歩を踏み出すことになった。


 


更迭された幹事長が総会の後、


「1歩後退して2歩前進だ」という話をしたときいた。


非常に厳しい内容だったが、


前に進んだということだけは言えると、私も思う。


 


 


私は、青年局長という役員を受けた。


 


みんなの党は若い国会議員が多い。


30代、40代の国会議員は半数をゆうに超える。


地方議員も若い方が多い。


少ない青年議員を結集するという古い考え方は


みんなの党に当てはまらない。


党内部の青年をどうこうするのではなく、


有権者の若者へ、もっといえば未来の青年である


子どもたちへ何かできることはないか。


青年局長という役目を与えられたのだから、


なにか新しいことを、


他の党と違ったことができないか、考えてみたい。


 


 


きょう8月8日、みんなの党は結党4年を迎えた。


次の国政選挙はしばらくないと言われているが、


国会での議論、地方選挙など、常在戦場。


前に進むしかない。


 

  


2013年08月20日 Posted by 井出 ようせい at 01:24Comments(0)

戦争で亡くなった方々の慰霊(7月31日執筆)

長野県護国神社


戦後68年目の夏に入り、来月の終戦の日にむけて、


戦没者慰霊祭の日程も入ってきている。


先日、松本市の護国神社であった慰霊祭に参加した。


 


その慰霊祭は、ニューギニア方面で戦死した


長野県内の3474人を慰霊するために長年続けられ、


今年で45回目だという。


もともとは、共に戦地にいった戦友の方々で慰霊祭をしてきたが、


いまは遺族の方が中心となっている。


 


国家議員、県会議員などの来賓は、


挨拶をして一時間ほどで退席したが、


私は時間があったので、最後まで残って


遺族のご挨拶をきかせていただくことにした。


遺族を代表して2人の方がお話しされたが、


中身は大変興味深かった。


 


最初にお話しした女性は、父が戦死したという。


女性がニューギニアを訪れようと思ったのは、


戦後、一家を支えてくれた母が98歳で亡くなった最近のことだという。


母と父を近くにいさせてあげたいと、


戦地で散骨をしたという。


慰霊碑のまわりが草ぼうぼうで


いたたまれなかったという話もしていた。


 


もう一人の男性は、


戦死した父は、ご自身が4歳のときに出征したから


父のことは正直わからないと。


でも自分が定年退職をしたのを機に


慰霊をはじめようと思ったという。


男性が特に強くお話しされたのは、


長年の慰霊を支えてきた


遺族会スタッフへの感謝の気持ちだった。


ボランティアで長年慰霊を支えてきた


事務局やスタッフに、感謝状だけでも渡したいと提案し、


大きな拍手が起こっていた。


遺族会のスタッフのみなさんの、


遠慮がちな、それでも嬉しそうな笑顔が素晴らしかった。


 


遺族の高齢化が進んでいるとよくいわれるが、


二人のお話をきいていて感じたのは、


時間がたっても、戦没者への想いは


さまざまな形でいき続けている。


私がかつて見聞きしたような、


戦没者への直接的な感情は


お二人の挨拶からはうかがえなかったが、


それぞれの形で


慰霊に関わっていきたいという強い想いを感じた。


 


私は親も戦後生まれで、


戦争経験から時間的にどんどん遠くなっているからこそ、


私たち若い世代は積極的に、


戦争体験を知る必要があるということを


お話しさせていただいた。


 


ほかにも、慰霊祭の前に遺族会のみなさんとお話しした。


中国との関係が悪化して、現地に慰霊にいけなくなったとか、


行っても、現地から遠くはなれた宿泊先で、


お線香をあげることすらできないといった話をきいた。


 


「慰霊をきちんとやりたいんだけど、


いまのままだと中国の人だって、


日本の兵隊の家族が来るときいたら、構えちゃうよね」


 


慰霊ができないからといって中国を批判することもせず、


それでも、慰霊ができない無念さを感じる言葉だった。


 


 


政治家の場合、外交上の摩擦はつきまとうが、


参拝や慰霊に、いこうと思えばいくことができる。


しかし、慰霊にいきたくても


いくことがかなわない人たちがいることに


もっと向き合わないといけない。


 


私は、時間がかかると思うが、


慰霊が堂々とできるようにしたいし、


外交上の理解も得たいと思っている。


 


憲法の問題、安全保障、領土の問題、


様々な問題が絡み合う問題ではあるが、


戦争を二度とおこさない、そして戦没者の慰霊をしっかりとやりたい。


こうした想いを形にするためには、なにが必要なのか。


慎重に議論していきたい。


  


2013年08月20日 Posted by 井出 ようせい at 01:23Comments(0)

厳しい戦いを支えていただき、ありがとうございました(7月22日執筆)

参議院選挙が終わりました。


信州では私、すみけい子候補と二人三脚で戦いましたが、


残念ながら当選にはいたりませんでした。


応援、ご支援いただいた皆様に心より感謝申し上げます。


 


106915票。


公示の二日前に立候補表明したにも関わらず、


すみ候補は精一杯頑張ったと思います。


本人の頑張りに、多くのご支援をいただくことができました。


 


しかし、擁立がギリギリになってしまったことや、選挙戦のサポートなど、


私と党本部は、今回の結果を真摯に受け止めなければいけません。


 


全国的に見ても、議席を増やしはしたものの


長年活動を続けていた、なんとしても当選してほしかった


多くの仲間の努力が報われませんでした。


 


自民党にしっかりモノをいえる力を作るという


大きな目的のある戦いでした。


戦う意義がある選挙で候補者を擁立し、


挑戦をしたことは間違っていなかったと思います。


 


しかし戦うのが精一杯、現在の党の力の限界、


みんなの党の看板だけでは戦えないと感じました。


 


今後にむけて、党本部と、厳しい話し合いが必要となるでしょう。


 


今回の参院選、総括には時間がかかりそうですが、


この経験が今後にいかせるよう、もっと精進して参ります。


 


今回の参議院議員選挙が厳しい戦いになることは、


多くの方が、あらかじめ分かっていたことだと思います。


それでもなお、選挙戦を支えてくださった、


応援してくださった皆様に、心より感謝申し上げます。


ありがとうございました。


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(7月22日 佐久市 跡部交差点)


  


2013年08月20日 Posted by 井出 ようせい at 01:21Comments(0)

通常国会の終わりに(6月26日執筆)

雨の国会


初めての通常国会が終わった。


「これからいくつもの困難がある」


そう言っているかのような強い雨が降った。


 


予算委員会など、多くの質問に立った。


当選から5ヶ月で、


本会議の質疑に登壇できるとは、


議員になる前は予想もしなかった。


 


「新人議員と言う言葉は使わない」と、


甘えを排して活動してきた。


大臣だろうと官僚だろうと、


言うべきことは言ってきた。


反省も多かったが、無我夢中で仕事をした。


 


本会議場のヤジには辟易させられた。


議員の質について考えさせられたことは多かった。


 


官僚とのやり取りも多かった。


真摯な話し合いが多かったが、


一方で、内容の薄い答弁も多く、


官僚の熱意についても、


考えることは多々あった。


 


議員立法にも関わった。


「法律はこうやってできるのか」と、


その重みとともに、


シンプルな作業への驚きもあった。


 


酒を飲む機会はあい変わらず多いが、


量は減った。


翌日、頭をできるだけクリアにしておきたい。


翌日を気にして節制するようになったのは、


野球をしていた時以来だ。


 


課題は多い。


満足や、安心感は一切ない。


もっともっと。


 


 「公のために」


挑戦は、まだ始まったばかりだ。


  


2013年08月20日 Posted by 井出 ようせい at 01:20Comments(0)

官僚と政治家のギスギスした関係(6月14日執筆)


きのう(13日)の毎日新聞で、復興庁幹部がTwitterで暴言を連発していたという記事があり、委員会でも取り上げられていた。




記事を見る限り、「子ども・被災者生活支援法」や法案成立を求める人々への暴言、また、福島県内のある町議会に対する暴言は許されるものではない。ただ、ある党本部に缶ビールを補充(大半は自身が飲むとも言及しているようだが)したことなど、「そんなことまでするのか」と驚くこともある。また、政治家への陰口のような類いの話が多かったようだが、「たしかに」と妙に納得してしまうものもあった。


 


どういうことかというと、政治家と官僚の関係について、たまに「こんなんで大丈夫か」と思うことに遭遇する。官僚のみなさんは私のような1年生議員にも「先生、先生」と言ってくださって、多くの官僚は実直だ。けれどたまに、会議中にみせる表情だったり、電話の向こうから聞こえてくる官僚同士の会話だったりするのだが、「ああ、政治家って全く尊敬されていないな」と思うこともある。


 


ある会議で、議員同士が法律を作る議論をしていた。省庁の役人も横で聞いていて、たまにアドバイスをしてくれる。しかし、1人の議員の発言が、役所としてはあり得ない話だったのか、「それはないよな」といったような失笑が役人たちの席からもれてきた。それをみた発言中の議員が激怒する。議員の激怒は相当なもので、言葉も相当荒かった。しかし、そもそも怒らせるような失笑をしたのは官僚たちの方だった。真剣な議論を笑ったのだから。でも、謝るわけでもなく、ひたすら目をあわせずにいるだけだった。こんなことで、「さあ、法律ができました。運用の基準を作りましょう」という時に、官僚が政治家の議論を反映させるのだろうかと不安になった。重ねて断っておくがこんなことはいつもある訳ではない。多くの官僚は真摯にやってくださっている。



逆に政治家の側も、私がみていて「この議員、なんでこんなに横柄なんだろう。役人が気の毒だ」と思うことがある。こっちは「たまに」というよりも「よくある」といった方がよいかもしれない。議員が役人に分からないことを聞くのに、議員会館まで呼びつけるのが当たり前、電話も、議員本人がするのではなく秘書がするのが当たり前というのが、常識らしい。私も質問を作る時に分からないことがあるので役所に電話をするが、ニュアンスをしっかり伝えるために、直接電話するようにしている。そうすると「わざわざお電話いただいて」と恐縮、感謝されることが多い。


 


政治家は官僚に言うべきことは言わなければいけない。役所のやっていることや考え方と対立することも多い。私など野党だからなおさらだ。しかし、政治家と役人の信頼関係ができなければ、信頼関係をお互い損ねてしまったら、法律を作っても、また、国会でどんなにいい質問をしても、きちんと実行に移せるかどうかというところが大きく揺らいでしまう。Twitterの暴言は極端すぎるケースだが、政治家と役人の関係がよくないということの現れと見ることができる。


 


会社やスポーツチームでもそうだが、人間関係が、例えば上司と部下だったり、先輩後輩だったりといろいろだが、当然、性に合わないことや相容れないこともある。でもそうしたことを飲み込んで1つの目的に向かっていくのが、成熟した組織だと思う。今回のTwitter問題で感じたのは、政治家も官僚も、協力しなければいけない部分があるにも関わらず、人間関係という面でお互い未熟だということだ。しょっちゅうこんなことがわるわけではない。政治家にも官僚にもすばらしい人が多いことは改めていっておく。悪いお手本に出くわした時は、反面教師として、活動していきたい。



(毎日新聞6月13日朝刊より引用)


  


2013年08月20日 Posted by 井出 ようせい at 01:19Comments(0)